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地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問である地政学について。
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フリードリッヒ・ラッツェルはドイツの政治地理学者である。ビスマルク時代における植民地獲得の外交政策の理論的根拠として用いられた。ラッツェルは国家を単なる国民の集合ではなく国土と国民から形成される生命体として考え、国力はその国土面積に依存し、国境は内部同一性の境界線であり、同時に、国家の成長にしたがって流動的に国境が変化するなどの前提を打ち立てて、以下のような法則性を導いた。
・国土(国境線)は民族(言語・文化など)の増大によって流動的に変化する。
・国家は国境の拡張とともにその政治力(国力)を拡大する。
・国家はより弱小な国家を吸収して成長し、同時にあらゆる地形や政経中枢や資源地域を吸収する。
・原始国家の領土拡張の原因は外因性、すなわち、外国の領土拡張の動きにより引き起こされ、ますますその競争の流れは広がる。

参照元:ウィキペディア「地政学
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地政学、すなわち、地理と政治や軍事との関係性についての研究は、すでに古代ギリシアの時代、ヘロドトスの『歴史』にその起源が読み取れる。彼は民族の命運が地理的な環境と深く関係していることをペルシア戦争の研究から述べている。
◯大陸系地政学の歴史
より「政治地理学」という名称を用い、体系的に政治と地理の関係について論じたのは18世紀のドイツの哲学者カントであると考えられている。この研究はドイツの経済学者フリードリッヒ・リストやドイツの歴史学者ハインリッヒ・フォン・トライチケ、ドイツの地理学者アレクサンダー・フォン・フンボルト、カール・リッターたちを経て地理学者フリードリヒ・ラッツェルによって引き継がれ、スウェーデンの政治学者ルドルフ・チェレン (Rudolf Kjellen) がさらに体系化を加えて「地政学」との名称を与え、20世紀のドイツの陸軍将校であったカール・ハウスホーファーによって国家は国力に相応の資源を得るための生存圏(レーベンスラウム)を必要とするという大陸国家系の地政学の説を唱えた。
ドイツにおいてこういった理論が集中的に発展した背景については、ドイツがヨーロッパの中央部に位置し、しばしば外国との戦争によって国土を破壊され、国家の発展がしばしば頓挫した歴史が関係していると考えられる[要出典]。
◯英米系地政学の歴史
ドイツの地政学の系譜とは別に、英国や米国で発展した英米系地政学(海洋国家系地政学)の系譜が存在しており、イギリスやアメリカが中心となって発展してきた。19世紀の米国海軍将校であったアルフレッド・セイヤー・マハンはシーパワー理論を打ちたて、イギリス地理学者のハルフォード・マッキンダーはユーラシア大陸の中央部(ハートランド)を制するものが世界を制すると主張して、イギリスの立場からロシアへの対抗を説くランドパワーの理論を構築した。
後に、20世紀のアメリカの政治学者であるニコラス・スパイクマンはランドパワーとシーパワーの対立構造をすべての戦争に当てはめることは乱暴な単純化であると批判し、大陸縁辺部(リムランド)を定義した。
◯大陸系地政学(近代の地政学)
アドルフ・ヒトラーが率いたナチス・ドイツと大日本帝国の帝国主義的な拡張政策に一定の影響を与えたと考えられている。事実、ハウスホーファーの副官であったルドルフ・ヘスがナチス党に入党しており、『わが闘争』の口述筆記を行い、後に、ナチスの副総統となっており、『わが闘争』にもハウスホーファーの理論がある程度影響していると考えられている。
また、日本においても、昭和初期に、ドイツとの地理的な類似性からドイツ地政学の影響を大きく受けており、小牧実繋が『日本地政学宣言』(弘文堂書房、1940年)を著し、「大東亜共栄圏」の概念を形成し、また、岩田孝三の『国防地政学』(帝国書院、1943年)においても、その地政学理論を日本の拡張政策に結びつけるべきであるとの記述がみられる。
地政学の理論が当時の政策立案に決定的な影響を与えたことを立証することはできないが、このような地政学の姿勢というものは、日本では軍国主義の理論として差別的に排斥された。特に、国際関係を地理的要因、軍事的要因のみで分析する地政学的アプローチは、経済、通商、投資関係が国際関係を説明する極めて重要な要素であることをまったく無視していることからして致命的欠陥がある。
また、確かに国家は現在でも国際関係における基本的アクターではあるが、20世紀後半以降、国際機関や大規模多国籍企業を始めとして、NPOなど国際関係におけるアクターの多様化が顕著になっていったにもかかわらず、そのような変化に対応できなかった。しかも、国家内部においても利害関係は多様であり、政策決定は重層的かつ多様なものとなる。そして、かかる意思決定過程が国際関係に影響を及ぼすにもかかわらず、「一枚岩の国家」というありもしない前提を元に議論を構築しているという欠陥がある。
◯英米系・海洋国家地政学(現代の地政学)
大戦に勝利したアメリカにおいては、マハンの理論は勝者として賞賛され、また、スパイクマンの地政学の研究は現代の地政学の発展の礎となった[要出典]。1944年、ピーティ教授は北極圏を中心とした半島環状地帯、島嶼内側環状地帯、島嶼外側環状地帯に分類しようとした。また、1973年にはサウル・コーヘンが特定地域に地戦略的な同質性は存在しないとし、世界を海洋世界と大陸世界と破砕帯に大別して呼称した。
1988年に、国立政策研究所のグレイ所長は東欧と中東がソ連の防壁または米国の前進基地の二面性があり、これは地戦略的な見地によると考えた。そして、冷戦期における欧州での米国の脅威は領土を巡る紛争ではなく、ソ連の軍事力が西側諸国へ与える間接的な影響であると論じた。また、核兵器の時代になると、従来のランドパワー至上主義、シーパワー至上主義に加えて、新しくエアパワー至上主義が登場することにもなった。
日本では、戦後地政学が公的には議論し難い環境があり、また研究の歴史も浅いために研究の成果は限定的であるが、小牧門下の足利健亮、藤岡謙二郎、神尾明正(かんお・あきまさ)らが、小牧地政学の学統を歴史地理学や先史地理学として発展継承し、地理学と歴史学、考古学の境界領域的な研究で業績をあげた。

参照元:ウィキペディア「地政学
◯政治的景観学派
政治的景観学派とは、ある国家の現状に注目し、対象地域の位置・面積・形状・政経中枢、対象地域の内的要素として人種・言語・宗教・政治団体分布、国境の種類・形状・防御、対象地域の外的要素として国際機関・植民地などを研究する。個別的な国家の地政学的な状況を把握する手法であるといえる。
◯政治的生態学派
政治的生態学派とは、ある政治的集団の地理的環境への適応に注目し、集団の発生・成長・特徴、居住地域の環境、集団が自給するための経済、地域を統治するシステム、国境の調整、外的要素として国際機構・安全保障戦略・外交関係の調整などを研究する。その国家の国力を把握しようとする手法であり、厳密には政治地理学の側面が強い。
◯組織学派
組織学派は国家を国民の集団以上の組織体であると考え、それは常にエネルギーを摂取して生存し、その発展にもエネルギーを摂取し続けなければならない。そのために、「生存圏」が確保されなければならず、また、パンリージョンも発展には要するので国家の膨張が必要だと考えられる。
国土の位置・面積・形状・資源、国民の民族・人口・文化・経済や政府の性質、地域と政治の関係として首都・政経中枢・領土・国境、国民と地域の関係として人口ピラミッド・国家戦略・国家計画などを研究する。
◯海洋国家系・大陸国家系
海洋国家系地政学とは主に米英で発展した地政学の学派である。海洋と関係性が深い国家で興った地政学であるので、国内の団結を強め、海軍力をもって制海権を獲得し、海上交通路を維持拡大し、国内経済の成長を推進することを原則的な方針とする比較的に共存を容認する立場にある。大陸国家系地政学とは主にドイツで発展した地政学の学派であり、海洋国家とは異なり隣国と陸続きに接触しているために安全性の維持が困難であり、膨張を志向するため、比較的に統合を志向する立場にある。
大陸国家系地政学は組織学派の影響が大きく、海洋国家系地政学との差異を生んでいる。

参照元:ウィキペディア「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%94%BF%E5%AD%A6" target="_blank">地政学</a>」
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